今から1200年前、征夷大将軍である坂上田村麻呂が蝦夷征伐のために脇野沢村に訪れた際、美しい村の娘と恋に落ちた。
娘は身ごもったたが、将軍は都に帰る際、無情にも村に娘を置き去りにしてしまった。
将軍を恋しがり泣き続けた娘は三つ子の将軍の子を産むと、自ら命を絶ってしった。
村人たちは娘を哀れ悲しみ、亡骸を少しでも都に近づけるよう鯛島に埋葬したが、その後に船の難破が続出し、人々はそれを娘の霊による祟りだとされ、恐れるようになった。
その500年ほど後、戦に破れ逃れてきた藤原藤房がこの伝説を耳にした際に、自ら天女の像を彫って弁財天を祀ったところ、祟りがおさまったそうだ。
しかし今でも鯛島付近のワカメは娘の髪の毛と云われ漁を避けるなど、この悲恋伝説は現代においてもなお地元の人々の心に深く刻み込まれているそうです。