野牛内(のしない)禁忌

=真澄記=

七年ばかり前の秋、雄勝ノ郡湯沢の駅で相宿した由利ノ郡の松井多治という男は夕食の菜として出たきのこ汁を食べなかった。

 

きのこはさらいかと聞くと、、、、

いや、そうではない。私が住む里の産土神の禁忌なので、食べないのだと答えた。

 

どこのどういう神なのかと聞くと、、、

私の住むところは、保昌羽山の西北にあたる野牛内(代内)という村である。

そこに太子堂があり、禁忌のきびしい神である。この村では厠に棟をあげることを忌み、みな片廂(かたひさし)である。太子堂と同じにしないためである。

 

きのこを食べない禁忌も理由のあることといわれている。

自分は亀田に聟(むこ)になって、今は麹売りとなってあちこちをはせあるき、ある時、おもわずきのこ汁を食べてたちくらみ、芋川に落ちてから、神にわびてようやく心が安らかになったと答えた。

 

その芋川はどこにあるのかと聞くと、、、

それは、保呂羽山から落ちる滝川である。

そこには何年を経たかも知れない大芋があったのを大蛇が食べて川を下った。そこでその滝を芋滝といい、その川を芋川と呼ぶのである。

 

かし由利と秋田の境界争いの時、神に祈り牛王宝印をいただき、この宝印の御札が止まったところを秋田領だと。

芋滝から流したところ、流れ流れて亀田の近くに止った。

そこを牛王の瀬までの村々の人はこの田どころに作る稲田は保黒羽の神の下雫がかかるので神の田にひとしいとして、 一粒とて仏前に供えることはない。

仏前の米として本荘・矢島領から買入れて、一年間の仏前の米とするのである。