真澄は西馬音内(にしもない)で本格的な冬を迎えている。逗留した家の号はわからないが貧しい家であったようだ。 しかし中は大家族で、真澄を暖かく迎えてくれた。 そんな中に真澄は人々の冬の暮らしぶりや、方言などに目と耳を傾けていた。 ここでは、人々が話す雄勝の方言(秋田弁)を次のように書いている。 =真澄記(1)= 十三日、今日はここの町に市が立つ。鮭の切り身やははら子(すじこ)など、なにかと商う棚の上の鮭の頭をひとつ盗み捕って、袖の中に隠したのを、あるじの女が見つけた。 「どし(他人を悪くいう言葉、障害者を差別的にも言う)、ぬす人(盗人)、ものいたせよ(盗った物返せ)。」 「いな、しらじ(いやしらない)。」 「いふな(言うな)、たはこふくとて(煙草を吸おうとして)、やに入りたるひまに(入ったすきに)、手さしいたし(手を出して)、とくとりたるを(盗ったのを)、すき見しるに(隠れてのぞいていた)、がぁ(おまえ)ぬすみたり(盗んだのだ)。此代の銭いたせ(金を払え)。」 「はたらずともやるへし(そう責めなくても払うよ)。」 =真澄記(2)雪だわら= この三四日逗留している間、雪がいやになるほど降った。吹雪で家を出ることもできない。 今日はまち(市)に出かけるために、、と、「雪俵(ゆきだわら)」また「俵靴(たわらぐつ)」というものを人毎に作って、その中に足をさし入れて、俵(たわら)を履いているように大雪を踏みならして歩いている。 「ひゃこ、さはらにはあらじ(寒いのはうそではない)」と言い捨てて、家の中に入った。 春には芽吹く柳の枝をさしくべて、落ちている破れ紙で青鼻をぬぐう。 (囲炉裏で)背中をあぶり、腹をあぶって、帯まで解いている。 母も入ってきて「此雪よ、あなさむ(この雪、おお寒い)、わらし(こども)よ、てうせすと火くべてよ(どんどんくべなさい)。柴こ(この地方では名詞の下に「こ」をつける風習がある)もてこと(持って来い)」 火のへた(そば)のみでさらで明けたり(夜を明かした)。 わらしとは童(わらべ)を言えたり。めらしとは若き女を言うなり。 =真澄記(3)おぢ、おば、あね= 十九日、いまだに明けぬ時から「おぢ、おきろ」と言う。弟をおぢと言う。妹をおばと言うならわしのようだ。 また、外は暗いというのに、けしね(米)を鼠がとったようだ。 あねは、いつこにふしてけるそ(あねはどこに寝ているのか)、あねとは主人の妻を言う。 何太郎がかか、何子がかか・とと、と言って、ここでは名を呼ぶことがない。 |
冬の農家(大きい農家)
入り口の蓑置き場
オヒツを入れる「飯いずめ」
菅江真澄:かんじき
菅江真澄:俵靴(雪俵)
菅江真澄:雪の道具