=真澄記=
二十六日、高橋なにがしかと共に、野遊びしようと、夏草を踏んで古河(昔雄物川が流れていた跡)という所へ来た。
去年ここを鍬で耕したことがあったが、その時は鮭の稚魚がたくさんいたものである。
ここに川があったのは500年前だそうだ。「例えここが土となっても千年待つ」のたとえもあると人は言う。鮭の稚魚は霜に皆溶けてしまったのだと語った。
ここを過ぎて、野も山も塗ったように美しい躑躅(つつじ)の中に、むしろを敷いて飯を食い、酒を飲んだ。夏の木の茂みの中から見える鳥海山の雪はどこか悲しそうに見える。
鳥海山の東の向こうに見えるのは神室山と言う。どんな神の室があるのだろう。
霧機山は松岡山のうしろに見える。横手へ行く路が開けている。この峰には鹽(塩)湯彦の宮代をあがめて祭っている。
このあたり、雪か雲かと見えるのは阿仁の山だろうか。よもやみちのくに名高き岩堤なのだろうか、、、などと思っていた。
はなだ色(うすい藍色)の布を厚くさして着た、たいそう清らかな女が、老人にいざなわれて行く。小野(雄勝)の人のようだ。
「ああ美しい人だ」としばし見守っていた。
小町姫の名残とて、いにしえより今に至って、小野の里には良い女がいるとは聞いていたが、これほどの美人は世にいないだろうと酔い泣きをした。
笠に音がして、雨が降ってきた。「さあ帰ろう」とつくし・わらびをいくつか折って家路に急いだ。明日は金谷に行こう。