=真澄記=
平鹿郡上溝の郷昼河村に佐々木総兵衛という翁がいた。この翁がある夜夢を見た。
観音寺の古山跡に、四塚という古塚が四つある。この塚に魚が3尾あった。「山に魚があるとは、おかしい」と思っていると、気高い老翁が来て、「ここを掘れ」と言って杖で塚を指しているところで目が覚めた。
「これはきっと夢の御悟しに相違ない」と、人を頼んで観音寺の古山跡の尋ね登り、四塚を求めた。
文化6年七月十七日に四塚を見つけ、鋤鍬で若男に掘らせた。
一の塚の底には軟岩が敷いてあり、更に掘ると紫銅の蓋がついた筒のような器があり、その上に二振りの太刀を横たえていた。
太刀は朽ちて、その形の残していない。しかし鞘の漆は変わらず昔のままの色をたたえていた。
周りの小石を除いて、筒を取り出して蓋をとってみると、中にはにごり酒のような濁水が入っている。
人々が寄って覗いて見ると、中の一人が「これはいかに、右縄の影が右にそのまま映る。」と叫んだ。
「左縄で試せ」と傍らの人が言う。小草を刈って左手で筒の濁水に映せばやはり左に映った。
「水鏡はみなこういうものか」と水溜りや田の面などに映してみれば、そうではない。
これはいかなる水であろうか、、、と水を移してみても、この筒に何の変化もない。
筒の外に「久安五年五月」とありその傍らに「僧良興」と二重文字に彫ってある。
もうひとつの塚を掘ってみた。瓶があって、中には一つ目の塚より一回り大きい銅器があった。
残りの塚には刀が埋まっていた。
銅器は昔の経筒であろう。昔は仏経だけではなく書はぐるぐると巻物にして保管していた。
だから書籍を「くる」と言い、「くり返す」などと言った。
朝夕に読む経典は、銅筒に入れて柱などに掛けておいたものだ。古い寺には経筒が残っているものもある。
それを見て、これに花を生けて花瓶としてところもある。
観音寺の僧がこの筒に何かを入れて埋めたものであろう。