=真澄記=
小野姫は九歳で都にのぼり給いた。また年頃になって、この国に来給いて植えた芍薬が、田の中の小高きところにある。 見せようということで案内された。
柴垣をめぐらした中に、やがて咲くだろうえびす薬の花が茂っている。 いにしえの頃より九十九本あって、花は薄紅にして通常の花とは異なるという。花の盛りをもって田植えをするようだ。
この花は、枝、葉、露とも折ったり取ったりすれば、たちまち空かき曇ってやがて雨が降るそうな。
石文の書を見れば、「小野小町大同四年己丑生昌泰三年申年九十二卒行」とある。 また九十九首の歌を詠し名を法實經の花といえり。
歌に「實うへして 九十九本(つくもつくほ)あなうらに 法實歌のみたへな芍薬」とある。
小町姫の姉君のなきがらを埋葬した古塚にあった松が、十年の昔に枯れてしまった。と人が語ってくれた。
そのあたりには今は藤がかかっている。
雄勝の小町塚
真澄の芍薬塚
今に残る芍薬塚
深草少将の塚