=真澄記=
町は上(かみ)、中(なか)、下(しも)のけじめがある。
この下の町の東の方の家の門に、たいへん高いしだれ柳が一本生えている。
その木には幣(ぬさ:麻・木綿・帛または紙などでつくって、神に祈る時に供え。みてぐら。にぎて。幣束)が指し添え、垣をめぐらしている。
この柳を市神として斉奉っている。
この柳の年齢は何歳かわからない。
その昔、陸奥の国の駒形山(栗駒山)の峯から落来る水に、ところどころの谷水が流れまじり、その水がこの地を流れるようになると、たいそう広くみなぎる大川となった。
佐久の瀬という荒瀬でもある。
その川の岸に立つ大柳があり、往復する舟はここにつなぎ、あるいはもやい、泊まったという物語がある。
この柳は霊樹(かみき)でもあろうか。
幾度か老い、幾度か倒れ伏し、また佐久の瀬の大地震にゆられ、洪水に破れ、流れも変わり、今は田畑となり、人が住むようになったため、この柳も里中の人家の軒端に立つことになった。
里とともに火災にあったことも二度三度であったが、この木のひこばいは、何度も若返り、今また大木となっている。
この柳のあるじも、三浦六衛門と言って、この里ではゆえある家である。
毎年正月九日は初市であり、この柳の市神に神酒をすえ、幣(ぬさ)をとり、供物を供えて、里人市人がうち群れてお参りする。
初市には塩と飴(あまもの)を売買するのが商家のならわしである。
飴は子供の土産とし、塩は五味の長なので、寿齢を保つ良薬である。
また、塩を焼くことは、男の生業(なりわい)、潮くむことは女の生業(わざ)である。
したがって、飴と塩とは親子妹背のなかむつびぬることを、今日の市路の土産として、他人をも身を祝うためである。