釜木薬師縁起

=真澄記= 
二ツ屋村のほとりの明田という岩山に、木花開邪比咩(山の神)を祀り、山を富士山という。 
梺(ふもと)に馬頭観音のお堂が建っている。また巌をうがって稲荷の祠として、山際には弁財天を祀るお堂がある。 
また釜木薬師という如来堂などがあるということである。 
これは不思議な薬師だと思ったが、都路にさえ虎薬師、蛸薬師、不来(こずか)薬師などがあるということである。 
山の斜面から金照寺山という鈴虫の多い松山が見える景色である。 

=「菅江真澄秋田の旅」(田口昌樹 秋田共同印刷 1992年) =より 
真澄は十一年後の文政五年(1822年)3月、再びこの地を訪れ、釜木薬師の縁起について考究している。 
=真澄記= 
大木を薪として、杣川(そまかわ)を流し酒殿(神に捧げる酒を醸造する建物)で燃やしたところ、人間の形をしたものがあった。 
自然にできた薬師仏の尊像であるというので、人々はこれを敬って御堂を建てて安置した。 
田んぼのわきの一本松の下には、地蔵権現を祀っている。 
とある。

富士山

案内板

釜木神社境内

明田神社


真澄時代からの

灯篭

杣川の

太平川

弁財天稲荷の

千歳の松

山頂の祠