天明三年飢饉、床舞の惨状(深浦)

=真澄記=       

卯之木、床前(今の床舞)という村の小道に分け入ると、春先の雪がムラになって残るように、草むらに人の白骨が沢山散らばっている。また、うず高く積まれている。 髑髏(どくろ)の額の穴に、ススキや女郎花が生出ているものもある。  

見る心地もなく、拝んでいると、知らぬ人が「見たまえ、これは皆、飢え死にした人の屍だ。過年卯の年の冬から春にかけて、雪の中に倒れた者だ。今、こうやって道を塞ぎ、行きかう人は踏み越えて通うが、夜道ともなれば、過って骨を踏み、朽ちた腹に足を入れて、臭いもひどい有様だ。」と言う。


天明三年(1783年)に襲った飢饉は、大惨事を招くものだった。 

作物は全く採れず、ある者は、「この上は、、」と言って生き馬を捕らえて、首に綱をつけて梁に引き上げ、脇差や小刀を腹に刺して突き殺し、血のしたたるのをとって、なにがしの草の根と煮て食らう者も多かった。 

後は、馬の頭を熱湯に突き入れて殺す。または、馬の頭に縄を巻いてくくり、息が絶えるまで待つ。 

馬の骨は薪に混ぜて焚いている。 

野に駆ける鳥や犬を獲り食らい、これらの食べ物も尽きると、生まれたばかりの赤子や、腹の中の子まで食べるありさま。 


また、病気の人がいると、死ぬのを待って行列ができるありさまで、まだ息がありそうなのに、脇差で胸のあたりをえぐって、餓えをしのぐという。 

人間を食う者は、国主によって処刑されると聞くが、人肉を食った者は、目は狼のように光り、馬を食った者は病人にように顔が浅黒く、今も命永らえて村に居るという。