=真澄記=
小野小町は平安前期の女流歌人で、六歌仙、三十六歌仙の一人でもあります。
小野小町大同四年、出羽の国福富の荘(秋田県雄勝郡小野字霧桐の木田)で生まれました。
幼い頃から美しく、十三歳の頃、京に上ってその後二十年程宮中に仕えました。
その容姿の美しさや才能の優れていることなど、数多くの女官中、ならぶものがいないと言われ、時の帝(みかど)から寵愛を受けました。
小町は36歳にして、故郷恋しさのあまり生地小野に帰り、庵を作り歌に明け歌に暮らしておりました。
京からは小町の姿がなくなったので、小町に想いを寄せていた深草少将は急ぎ東下りをします。
深草少将は、長鮮寺(ちょうせんじ)に仮の住まいを求めました。
しかし、 百夜通いの逸話を残し、九十九日目の夜、降り続いた雨の中の森子川(もりこがわ)にかかった橋とともに流されて亡く
なってしまいます。
これを聞いた小町は嘆き悲しみ、少将の遺骨を森子山 (二ツ森)に葬りました。
その後、小町は岩屋堂に住み、世を避け香を炊きながら一人肖像
をきざみ、九十二歳で生涯を閉じました。
小町の木像
真澄:芍薬塚
今に残る芍薬塚
深草少将の塚