錦木塚の由来(鹿角)

=真澄記=

川の水が減っていったので、渡し舟がでた。この川を毛布の渡しというとか。古川という村(十和田町)で錦木塚を尋ねると、稲刈りをしていた女が田の中に立って、鎌でさししめして、大杉が立っている彼方だと教えてくれた。

年を経た杉の木のもとに、ぬるでの木、桜の梢、かえでなど、すこし紅葉してきた木々の中に、土を小高く築きあげて、犬の伏しているような形の石が据えてある。これが有名な錦木塚である。 


昔、赤森の郷あたりは毎月、市がたって家数も多く、富んで賑わったところであった。 

そこに近い里で、柴田原というところに高齢の翁が住んでいて、どこからか幼い女の子をひとりつれてきて、たいせつに育てていた。 

この娘は成長して顔かたちも美しく、心もすなおであいきょうがあった。毎日の仕事として、白鳥の柔らかい毛をまぜた幅の狭い布(けふのせば布)を織って、それを市に出して売った。 

人はみなこの女に思いをかけ、またこの毛布はすばらしいと争いあって買いもとめた。 


広川原という里に若い男が住んでいたが、世を渡る仕事として、楓の木、まきの木《まゆみの木であろうか、鬼箭に似ている》、酸の木《勝軍木のたぐい》、かばさくら、苦木《あふちのの葉に似て葉は小さく長く、星の模様があって味が苦いのでこういう》、この五種類の木の枝を三尺あまりに切って一束にゆわえたものをなかどう木といって、市路で売っていた。 

なかどう木は、仲人木ということばであろう。世間でいう錦木とは、これら五種類の木がとくに色よく紅葉して錦のようになるので、そう呼ぶのであろうか。 

自分の恋い慕う女の住む家の門の戸に立てると、女はそれを見て、夫婦になってもいい男のたてたのであれば、この木を夜間にとり入れる。親はそのような事情を知って、二人をめあわせたという。 

錦木をよんだ歌によくある千束というのは、錦木をかぞえるのに、ひとつか、ふたつかということから知られよう。


この錦木売りの男が、毛布を商う女が美しく人柄のよいのに恋して、ふかく契りをかわした。 

毎夜、人に知られないようにかよい、今は人目もはばからず語らいたいものだと、錦木の高々としたものをその女の門口にたてた。 

女も嬉しく思ってこれをとり入れようとしたところを老人がとめて、「この男はよしなさい、大勢仲人木を立てにくる男のなかには、もっとよい男があるであろう。いかにも知恵のありそうな男こそ、婿と定めよう」と、錦木を売る男にけちをつけたので、女はいたしかたなく、老人のいいなりにまかせてしまった。 

毎日たてられ多くなってゆく錦木は、そのまま朽ちていった。 

このように両方の心とこころがしっくりあわない意味を歌にして、「けふの細布胸あはじ」と、世間で言い習わしたのであろう。 


女は心のなかで思い慕ったのだが、そのかいもなく、男がきても窓越しにしかあえなくて、毎夜はげしく泣いて別れた。 

老人は、ひそかに男が夜半に訪れてきて語りあうのを知って、毎日、昼間は寝ておいて、夜は眠らずにこの一日中女の番をし、戸外にださず、布も売らせなかった。 


男はどうにかして女に会おうと、老人の眠っている間にと様子をうかがった。しかし、間近いところでふくろうが鳴いたり、狐が軒近く叫んだりしたので、老人は眼をさまし、咳ばらいをして本意をとげることができなかった。

老人はあかしぶといって、山ぶどうの蔓の皮を縄になって、たいまつとして火をともし、それをうちふりながら家の内外を見まわるので、男はくる夜もくる夜も会えず、ここかしことあるいて、道に迷いながら広川原に帰っていくのであった。(その行帰りの道を、奥の細道、けふの細道と呼んで、風張というところの下方にあたっている。) 

鶴田村の辺にある、涙川というのは、この男が会えぬ毎夜を恨みながら、流れる涙の顔をこの川水で洗ったのでつけられた名だという。 


男は、いつまで生きていても自分の想う女と会うことができないと思ったのか、深い林にはいって、とうとう首をくくって死んでしまった。

女も、ただこの男だけを恋い慕い、思い悩んでいたため、それから身もやせおとろえて、病いも重くなって、湯も水ものどをとおらず、とうとう死んでしまった。 

老人は非常に驚き、嘆き悲しんで、「これほど深い思いで心から契った二人の仲だと夢にでも知ったなら、結婚させてやったものを」と後悔したが、今となってはどうしようもない。


双方の親は泣く泣く、男も女も同じ一つの塚のなかに、男の立てた千束の錦木とともに葬り、その辺に寺を建てて錦木山観音寺といったという。


この錦木塚の前にたたずんで、亡き霊に手向けた。

それからもとの田圃をつたい畦道をくると、さっきの田の面の女に「休んでいったら」といわれるままに、しばらく草の上にすわって女が語るのを聞いた。 

「中昔のころまで、七月のなかばには塚の中から機織りの音が聞こえ、物見坂というところから見ると、姿かたちの美しい女が織機にむかって機をおっているのがみえた。 

ある武士がそれを怪しんで、この古塚のなかに女がいるのであろう、掘ってみようと、大勢の人にいいつけて鋤鍬をたてて掘り壊してから後は、幻に見えた塚の女の姿も、機織る音も絶えてしまった。 そのころから、毛布を織る業はまったく絶えてしまったのだ」  といい終わって、また鎌をとって田におりたち、草刈りをはじめた。 

毛馬内の錦木塚

毛馬内の錦木神社