=真澄記=
鹿角の里では、南草坊と言う。
安達太良山より出て、都に住み、弥勒菩薩の出ませる世を経を読みながら思い、熊野にこもった。
まさに夢のさとしがあって、「百足のわらじが尽きた時、そこに住むべし。」と。
かくて、十和田の湖に至ってわらじが尽きた。「こここそ、我が住める所」としたが、、、、
そこには、先に八郎太郎が住んでいた。
そして戦いがはじまる、、、、、
法師は、「そのおろちがいくばかくかの物でも、私が頼む御仏の力、祈りの力を持てば 運は私に味方するだろう」と、八巻の経文を頭上に押しいただき、雨・土を拝んで 時を待った。
待つと、大渦の中に黒い鱗(うろこ)を逆立てて、歯を鳴らし、一のみにしようと現れた 難蔵はたちまち九頭のおろちに身を変えて、湖の淵にいた。
かくて、左右より喰いかかり、噛みあい、牛が吼える声が山谷に響きどよめき、 二つのおろちの眼が放つ光は、稲妻のように照った。
広い湖の水面も、血の海に染渡り、岩根木の末もほとばしる血にあやなした。
(このことから、今でも朱の色を嫌う山郷もある。)
八頭のおろちは、なすすべが尽きようとしたが、尾に大松が生い塞がって、なお戦うことに なる。
かくて八頭のおろちはかろうじて相田の湖に逃れたと伝えられる。
御門松といって、遠い沖に小さい島が二三見える。